他人と比較しないことは本当に大事なことなのか~段階に応じて使い分けてみよう~

子育て
Tim KraaijvangerによるPixabayからの画像

こんにちは。ダブルワンです。

今回は、他人と比較しないことは本当に大事なことなのか、というテーマです。

私の息子は小学校4年生なのですが、小学校1年生のような汚い字を書いており、何百回と注意しました。

しかし、一向に直そうとしません。こんな時に、他人と比較したい気持ちを抑えて、

上手く書けた字を見つけて「こんなきれいな字が書けるんだからやればできるんだよ」

という声かけをしました。

何十回、何百回と。

でも、結局は効果はありませんでした。

習い事でも同じです。他人と比較しないようにしてきましたが、ある程度までは上手くなるのですが、そこから先になかなか進めません。

こんなとき、本当に他人と比較してはいけないのか、と思い、それについて考えてみました。

見出し
  • 他人と比較しないことに少し疑問を感じている方
  • 認める、褒めるだけでこどもは成長するのか、と疑問に思う方
  • こどもがやる気をみせて、さらに上のステップにいきたいのに、今のまま他人と比較しない接し方を続けていくべきかと迷っている方

そもそも自己肯定感を高くする意味は・・・

今の育児方法は「自己肯定感」が一つの大事なテーマですよね。

他人と比較せず、自分の決めた目標をクリアすれば、親は良く褒めて認めてあげる。

この時、「○○君はもっとできているよ」とかと決して他人と比較して何かを言わないこと。

他人と比較しないことで、「自分の目標を達成できた」という自信がつき、自己肯定感が高まる。

それにより本人のモチベーションが上がり、次のステップに進むことができる。

そんな育児方法と思います。

ただし、、、下記の記事でも書きましたが、私の職場には自己肯定感が高いですが、働きが不十分な新人がいます。

働きは不十分なんだけど、自己肯定感が高いため「自分はよく頑張っている」という評価をしています。

一方で、上司である私や他の人たちは誰も彼を評価していません。

要するに、自己満足が高いだけで周りが見えない、ただの「痛い人物」でしかないのです。

もし、わが子の自己肯定感を高くしようとした結果、大人になった時にこのような人間になってしまうのは不本意ですよね。

自己肯定感は高くなったけど、周りが見えない単なる痛い存在にしかなれなかったなんて、、、、想像したくもありません。

親としては、こどもの自己肯定感を高めることにより、自信をつけ、自分自身のやりたいと思うことを全力で取り組み、その質を高めていく(成長し続ける)ような人間になってほしい、そう思っています。

それではどうしたらいいのでしょうか。

他人と比較するとやる気を削ぐ

自己肯定感を高くするときに、必ず言われる「他人と比較しない」については正解だと思います。

僕は昭和50年代生まれなのですが、とにかく親から他人と比較されることが多く、すごく嫌だった記憶があります。

「○○さんとこの○○君はもうこんなことができるのにウチの子はできない」

「○○くんは自分で親の手伝いをしてくれるらしいよ。うちと違う。」

「○○さんとこのお子さんはもう○○ができるんだって。それ聞いて私は恥ずかしかったよ。」

などなどと言われたものです。

今思うとこどもを動かすために、私の親は嘘をついていた部分もあると思いますが、とにかく比較され、いかにダメかを説かれていました。

それをされると「がんばろう」というよりも「どうせ俺はだめですよ」という気持ちしか湧いてきませんでした。

最終的にはこの比較は効果をみるどころか、「うるさいな」という反発の気持ちを生み出し、親に対抗して、他のうちと比べていかに我が家が劣っているかを親に言うことにつながりました。

つまり、親子でいかに「あなたがダメか」を言い合っていた、ということです。

だから、他人と比較するのは、さほど有効では無いと思います。

段階に応じた使い分け

と、ここまで書くと、他人と比較しない方法(自己肯定感を高める)も

他人と比較する方法も両方とも有効じゃないのか、と疑問に思ってきます。

でも、僕は段階によって使い分けるのが良いのではないかと思いました。

こどもの身の回りのこと(洗濯物を出す、忘れ物をしない)を言う時や習い事の基本を教わっている段階では、他人と比較せず少しでもできたことを褒めていく。

一方、習い事で試合に出られるようになりたい、試合に勝ちたい、とかもっともっと学校で良い点をとりたい、一番の成績をとりたいというときは他人と比較してもいいのかなと思います。

なにかの初期段階は「比較しない」、

その後、一定のレベルに達して、こどもが「勝つ」「秀でる」ことを目指していたら

「比較する」

というような使い分けが必要なのではないかと思うのです。

何かで「勝つ」ためには結局、競合する相手=他人を上回らないといけない。

そうすることで、どこを伸ばしてどこをがんばっていけばいいのかを考えますよね。

もし、他人と比較しないままだったら、どこを頑張って良いかもわからず、「自分はよくがんばっている。」の感情だけしか生まず、停滞を免れないのではないでしょうか。

結局は「親子共育」ということでは?

昭和生まれとしては「比較される」のは、やる気を削がれるため大嫌いです。

よって、育児書で「比較しない」という言葉を見つけたときは深く同意したものでした。

今はわが子を育てていますが(育てるなんておこがましいですが)、こどもができたところを認めたり褒めたりを繰り返しているうちに

「逆にこどもが満足しきってしまっているのではないか」

「もっとレベルを向上させるためにはどうしたいいのか」

ということで悩むようになりました。

こども自体も通い始めた塾で「(算数の)このページを(時間内に)できたのはオレだけだった」などと他人との比較を始めるようになりました。

このように、本人が次のステップに行きたいという熱を発したときには他人と比較するということも選択肢の一つとして考えていけば良いと思いました。

そして、その際はとにかく「言い方に気を付ける」です(笑)。

親から積極的に比較してしまうとやる気を削ぐでしょうし、

「○○君はこんなこともできているからすごい」というような

わが子を「他人の下」かのように捉える言い方も良くない。

「君のここがまだまだなんだ」という言い方ではなく

「あの子はここがすごいよね」と、他人のすごさを認めたうえで

「上手い子はどうしているんだろうね~。なにがすごいんだろうね~」

と、本人に気づいてもらうように導ければと思います。

否定するのは簡単ですが、導くような言い方は本当に難しいですから親の語彙力や普段の言葉遣い、人間性も問われる、ということですね。

やっぱり、「子育て」なんておこがましい言葉で結局は「親子共育」ということでしょうか。

親である自分自身が成長し、人間性を高めていく必要があるというですね!

こどもに言うだけでなく、こどもと共にがんばりましょう!!!!

ということで今回はここまでです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また次回お会いしましょう

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