こんにちは。ダブルワンです。
本日のお題はこどもへ
「公立高校でないとお金はだせない」
「大学は浪人はだめ。現役でないと」
というようなプレッシャーをかけることはどうなのか考えるというものです。
そもそも、こどもの学費はどのくらいか
私立高校や私立大学は学費がかなりかかりますよね。。。
そもそも、どのくらい必要なのでしょうか。
グーグルで調べてみると、学習塾・習い事の費用を含めて
私立高校は300万円、私立大学は700万円くらいかかるようです。
その合計は1,000万円・・・
ちなみに、私立中学校は年140万円、3年間で420万円程度必要とのこと。
そうすると、私立の中・高・大に進学した場合の総額は・・・
1,420万円!!!(一人)
ふむ~。高いっっっ!
かなりかかりますよね。
これに加えて、光熱水費(一人部屋の時のエアコン使用など)、食費、お小遣いなどがかかってきます。
プレッシャーをかけられた私の結果
私は中学時代に「うちはお金がないんだから絶対に公立高校に行かないとだめ」と言われていました。
よって、確実に合格できるところを選んで受験した記憶があります。
30年近く前のことですが、大学についても、当時は倍率が高くて大学に入りづらい時代でしたから親には「うちはお金がないから浪人は絶対にだめ。行きたいなら現役で合格しな」と言われていました。
結果は「三流大学」に現役で合格しました。
でも、高校時代の同級生で、私よりも勉強ができなかった人は一浪して早稲田大学に合格していました。それをを知って、当時はとてもうらやましがったものでした。
私が合格した三流大学は遊び人が多くてなじめませんでしたし(これで良いのか?いや、だめでしょって・・・)。
そんなことを考えると
「プレッシャーをかけられなければ、いい大学に行けたのではないか」
「そもそも家にお金がないのは親の問題だろう」
と親に原因を求めるようになりました。(実際、親は投資で失敗していますので、そのツケをこどもにまわしたということでしょう(笑))
一方で、知り合いからは、プレッシャーをかけられなかったけど、結局は一浪しても上の大学に行けずに三流大学の合格にとどまってしまったという話も聞きました。
私自身、「浪人はできない」というプレッシャーがあったので、良くない頭を使って一生懸命勉強して、現役で大学に合格できたんだと思います。
もしかしたら、そういうプレッシャーがなければ、浪人したとしても上の大学には入れなかったかもしれません。。。
私生活に例えると、時間が決まっている平日はきびきびと活動できる(しないといけない)けど、平日に比べて少し時間に余裕がある休日はダラダラしてしまう、みたいな感じでしょうか。
ただ、こどもにやたらとプレッシャーをかけるのは良くない、とは思います。
とにかく私は「うちにはお金が無い」と親に言われて育ったので、何かをしたくても「お金がかかるからやめておこう」と思ってすぐに諦めていました。
本当は大学受験に備えて予備校に通いたかったのですが、お金がかかるから言い出せず、夏期講習の時くらいしか通えませんでしたし。。。
たぶん、親も、こども(私)が言い出さないことを望んでいたんでしょう。お金はかかりませんから。
普通に大学まで行かせて普通に就職してもらって、で子育ては終了で良いでしょ、と。
親からしたら「中学卒業したら家を出ろ」という昭和の世界を経験してきていますから、私はずいぶん贅沢なんでしょうね(笑)。
プレッシャーをかけられた私自身はどのような性格になったか。
元々の性格もかなり大きな要素を占めると思いますが、このように「お金がない」と言われて育った結果、私は「確実にできること」を好み、いわゆる「冒険」「チャレンジ」が苦手な性格になっていました。
冒険やチャレンジ=失敗の可能性が高い
という図式を頭に作成し、避けることにしていました。
良く捉えればリスク管理ができているということなのでしょうが、もう少し、冒険というかチャレンジをする人生でも良かったのではないか、と思ったりします。
一方、この考えの良い面としては、満足するレベルが低いことが挙げられます。
親からのプレッシャーにより、高望みができない環境でしたし、そもそもお腹いっぱいのご飯をあまり食べられない家庭環境だったことから、普通レベルの生活ができれば満足という気持ちでした。
失敗の可能性を避け、普通で良しとする考えですね。
今もそれはあまり変わっていません。高望みはリスクと思っています。(実際、仕事での今のポジションより上にいけば給料もかなり上がりますが、責任が増すのは避けたいから上がりたくないですし・・・)
こんな気持ちで良いのかとも思いますが、まぁ仕方ないです。
まとめ
まとめると、プレッシャーをかけられた結果、冒険しない・チャレンジしない性格で、高望みしない性格になった。
一方で、リスクを感じ取り、避けることは得意。
また満足するレベルが高くないため、生活への不満が少ない。
そんな感じになりました。
自分自身も、これで良かったのか、もっと別の人生が良かったのかは本当にわかりません。
ただ、こどもを見ていると、「この子たちと出会えて幸せ」と思うので、このような人生で良かったのかもしれない、と考えてしまいます。
正当化になるかもしれませんが、私は確実に進める道を進むことで、この子どもたちを十分に育てる役目を追っている、とも思っています。
今回は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう!
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