こんにちは。
今回のテーマは子どもへの思い(期待)は単なる独りよがり(親よがり)なのか?
というテーマです。
1 期待したけど活躍しなかったことに腹が立った
先日、休日の朝に子どもをサッカー教室に連れて行きました。
子どもは保育園の年長時代の秋からサッカーをやり始めていたので、
今は通算3年間ほど習っているという計算になります。
3年間、というと長いですよね。
だから当然、親である私は毎回大きな期待をもって
子どもがサッカーをする姿を追っています。
その日は、というか毎回ですけど、練習はよくがんばっていましたが、
ミニゲームや大きなゲームでは結局、あまり積極的に関与しようとせず、
たまにボールを持っても単に蹴っ飛ばすか、うまい人にすぐにパスするだけ。
積極的に攻め上がろうとせずに終了。
2 そして怒る私
一方私は、この休日の朝のサッカー教室に行くために
色々と家事を済ませていました。
起床→朝ごはん作り→洗濯物を干す→子どもの持ち物チェック→飲み物の用意→車の運転
をしていました。だから、本当にがっかりしてしまいました。
そして、サッカー後のレストランで子どもが、
いつも頼んでいるお子様ランチではなく
大人と同じメニューを頼もうとしたとき
「今日は1点も取れなかったんだからお子様ランチじゃないとだめ!!」
と言ってしまいました。当然、子どもは大泣きし
どうせおれは1点もとれないくずやろうだよっ!!
と叫びました。
明らかに私の失言です。悪いのは私です。
瞬間的に出てしまった一言でした。
その後、なぜあんなことを言ったのかなと考えました。
色々準備した→期待外れ→がっかり→でも子どもはそれを気にしていない
→それより昼ごはんのほうに注意がいっている→情けないと感じる
ということなのかなと。
3 怒った私の少年時代は・・・
でも親である自分自身を振り返ってみます。
私はサッカー少年団に入っていましたが、消極的なプレーばかりしていました。
監督にはみんなの前でそれを馬鹿にされ笑いものにされたこともあります。
結果、年下からも馬鹿にされました。
でも、うまくなろうと自主練をしたかというと数えるくらいしかしませんでした。
リフティングの練習はかなりやりましたけど(笑)。
私はサッカーに加えて書道も習っていました。
でも、ゆっくりきれいに書くというのが性格的に合っていなかったため
中学生になる前までの4年間くらい習っていましたが、
習っている割にはレベルは高くありませんでした。
親からは「全然キレイにならなかったじゃないか。習わせて損した。お金がもったいなかった」
とショッキングなことを言われました。
4 子どもが夢中になっていなければ親のひとりよがり
でも、結局は親が「子どもにこうなってほしい」と思っているだけで
子どもがそもそもやりたいと思っているのかが問題なんですよね。
子どもが自ら「うまくなりたい」「強くなりたい」と思っているか、
その思いから自主的に練習をするか、
TVなどの遊びよりもやりたいと思えるのかどうか。
私の少年時代でいうとTVよりも熱中できるものはありませんでした。
それなのに、親になった現在、わが子に
「もっと上手くなれ!自主練しよう!できる!」
なんて言っても説得力はありません。
子どもが夢中になっていなければ、ただ親の思いで苦行をさせているだけ。
子どもには色々と体験をさせて、何が興味を引くのか何に夢中になるのか
それを見極めていかなくてはな、と思いました。
5 まとめると・・・
そして、子どもの習い事は結局は親のひとりよがりなのだから
あまり期待せず、見守るくらいでちょうどいいのかなと思いました。
ということでごめんね、息子よ!!
修行しなおします!!
ということで、今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう!
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